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アラスカで餓死した

 
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地図にない辺境を求めたから、青年は地図を捨てたわけです。
1992年4月、クリストファー・ジョンソン・マッカンドレスは防水処理のない革のハイキングブーツを履いて、5kgの米と二十二口径ライフルだけを持って、アラスカのジョージ・パークス・ハイウェイからスタンピート・ハイウェイ、ヒーリーの西25マイルの森の中へ。
アラスカ山脈の北麓、誰も住まない荒野へ。
大地の恵みだけで生きようとして。
置き捨てられたバスの中で。
助けてくれと書いたメモをドアに貼付けて。
餓死。
24歳。
幸福とは、だれかとその幸福を分かち合うことができること。
彼の残した言葉です。
 
飛行機は来ない。
1981年3月、アマチュア・カメラマンのカール・マッカンは、ブルックス山地の南端のフォート・ユーコンの北東75マイル、コリーン川近くへチャーターした飛行機で降り立つ。
孤立した荒野にひとり。
フィルム五百本、二十二口径のライフル、三十口径三十薬粒のショットガン、650キロの食料を装備して。
帰りの飛行機を予約し忘れて。
たった一度上空を通った飛行機に、片手で手を振るが飛び去られ、往路のチケットの裏には、
救援を求めるときは両手を振ること
と印刷されているのを後で見つける。
希望と絶望。
自殺。
 
1970年代はじめ、反体制文化の理想主義者がタナナの村を通過し、トフティ近くの無人小屋に荷物を残し、不明。
 
チョーキットシックの東にあるブラック川の川べりに小屋を建てたベトナム人獣医が、餓死。
 
1981年、プリンス・ウィリアム・サウンドの海岸。天然の素材から自らの手で作ったもっとも素朴な道具以外のものを生活から一掃。
ノコギリも斧も使わないで小屋を建て、49歳のとき、世界中を歩くと宣言し、心臓にナイフを突き立て自殺。
 
1981年冬、無線機と寝袋を持たず、小麦粉、砂糖、クリスコの大きな缶だけで、クック入り江の海岸から、つまり海岸の高さから160マイルの遠回りで、マッキンリーを目指す。
ルース氷河のノースウエスト・フォークで最後に目撃され、行方不明。
山小屋に残されたノートには、
私の最後のキス。
 
映画「Into the Wild」の原作です。