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2009年8月31日

2009年8月31日(月)[ドブロブニク→Foca/ボスニア・ヘルツェゴビナ]

宿のオヤジが薦めてくれたハイウェイを避けて、人気のない山道を目指します。
オヤジよ、若者は敢えて困難な道を進むものなのだよ。若くないけれど。
バルカン半島の20号線を北上して、ボスニア・ヘルツェゴビナに入国。
なんとも忌まわしい響きの国名ですわ。
国境で制服組に尋問されました。
「ハンガリーで働いてるのか?」
「バイクはどうしたんだ?」
「Good-byeは、日本語でなんて言うのだ?」
 
ボスニア・ヘルツェゴビナは、南米の香りが漂う貧しさ感があります。
道ばたのゴミが増え、家はオレンジ色の粗悪な煉瓦作りで、塗装仕上げなしで、煉瓦むき出しのまま住んでたりします。
皮膚を剥がした顔みたいです。
窓や屋根や壁が破壊された家を散見します。
これが内戦の悲劇なのか?
たぶん違うと思うけど。
 
東側に2522メートルの名前を知らない名もなき山あり。
ま、そこそこの山岳地帯です。
山の陰、雲の影はすこぶる寒いです。
養蜂農家の兼業食堂兼木賃宿に泊まりました。
もちろんネットなんざありません。
ボクはさっさと寝ましたが、祐子は遅くまで家計簿をつけてました。
 
?本日の走行距離232キロ(合計12242キロ)
?Internet→なし

朝→パン
昼→ピザとパン
夜→ボスニア・ヘルツェゴビナの名物料理、チェバピ。祐子はチキン

2009年9月 2日

2009年9月1日(火)[Foca→サラエヴォ/ボスニア・ヘルツェゴビナ]

ボスニア・ヘルツェゴビナというマフィアの親分みたいな名前の国を北上してます。
ディナル・アルプス山脈を横切っているので、涼しいです。
 
首都サラエヴォに到着。
今晩の宿は、西洋にしては珍しく靴脱ぎ式です。
下駄箱はありませんが。
駐車場代5ユーロは、祐子の巧みな交渉でタダにしてもらいました。
トイレは広いけど、便器だけがドアに近すぎて膝がドアに触れます。
不親切な設計です。
部屋は奇麗ですが、意味不明の配管、穴がたくさんあります。
改装前は、トイレだったのだろうか。
 
イスラム教の尖塔、ミナレットを中心に町中を軽く散歩。
派手なオレンジ色のTシャツを買いました。
 
?本日の走行距離94キロ(合計12336キロ)
?Internet→宿のWi-Fi(無料)


朝→パン
昼→食べませんでした
夜→ボスニア・ヘルツェゴビナの代表的な郷土料理、チェバピ。要するに皮なしソーセージです

2009年9月 3日

2009年9月2日(水)[サラエヴォ二泊目/ボスニア・ヘルツェゴビナ]

仕事の真似事をしてました。
久しぶりにギターを弾きました。
フィンガーがペインです。
 
ボスニア紛争時の瓦礫と弾痕を求めて、セルビア人狙撃兵がスコープで狙っていた通称「スナイパー通り」へ。
トラム(電車)に乗り、新築のオスロボジェーネ新聞社前で降りて、前線から300メートルしか離れてなかったプレスの溜まり場、ホリディ・インまで戻りました。
人通りの少ない炎天下、7キロも歩きました。
残念ながらと言えば不謹慎だけど、破壊されたビルは建て替えられ、修復されたUNISビルは安っぽく輝き、瓦礫の類いは見つけられず。
けど古い団地にはくっきりと丸い弾痕が残ってました。
破壊された壁をオレンジ色の煉瓦で埋めてますが、モルタルを塗らないからブラックジャック状態です。
 
?Internet→宿のWi-Fi(無料)

朝→硬くなった古いパンと卵焼き
昼→スパゲティ。ソースは瓶詰め
夜→我が家の定番料理となりつつある、チリビーンズ。どう作っても美味いです

2009年9月 4日

2009年9月3日(木)[サラエヴォ三泊目/ボスニア・ヘルツェゴビナ]

ギターの練習。
映画『ディア・ハンター』のテーマ曲「Cavatina」は、難しい...
旧市街を散歩。
 
サラエヴォには、リステリンが売ってません。(←助詞変?)
店員に説明してもわかってもらえません。
とりあえず「Advantage」という見た事ない緑色の液体を買ってみました。
不安です。
 
スペイン人カップルがいたので、久しぶりにスペイン語会話。
英語より楽です。
 
?Internet→宿のWi-Fi(無料)

朝→パンと卵焼きとドイツ人の残した芋
昼→粉末スープをスパゲティのソースにしました。我が家の定番になりつつあります。ドイツ人の残した芋
夜→昨夜の残りのチリビーンズとドイツ人の残した芋。
食べても食べても、芋がなくなりません

疑惑の銃弾/スナイパー通り/サラエヴォ/ボスニア・ヘルツェゴビナ

 
P9032681.jpg
↑ホリディ・インのデザインはださいです。
営業中です。
ここから西側のオスロボジェーネ新聞社までの7キロが、「スナイパー通り」です。
民族間の争いですが、セルビア人狙撃兵は民族に関係なく動くものは皆撃ったそうです。
とにかく殺す。
それが基本方針です。
 
P9032665.jpg
男根です。
違います。
弾痕です。
 
P9032671.jpg
これが76.5ミリ弾によるものなのか、わかりません。
 
P9032672.jpg
家にいても危険です。
小さい傷は、小銃によるものですかね。
 
P9032677.jpg
廃墟です。
でも紛争と関係ないかも、です。
 
P9022662.jpg
紛争中も消される事がなかった、サラエヴォオリンピックの聖火です。
紛争中に8000人のボシュニャク人が殺害された「スレブレニツァの虐殺」は、ジェノサイドとして認定されてます。
ボクが四谷三丁目で働いていた頃です。
知りませんでした、そんな虐殺。
 

〈写真〉2009年9月2日/サラエヴォ/ボスニア・ヘルツェゴビナ

2009年9月11日

道路標識が読めない/ボスニア・ヘルツェゴビナ

 
P9042687.jpg
道路標識が全然読めません。
困ったもんです。
 

〈写真〉2009年9月4日/ボスニア・ヘルツェゴビナ